にこぞう正直…走るのが楽しいからランニングを再開したわけじゃありません。診断結果に震えるも、酒とメシを諦めたくない!健康な体を作ろうと思い古い靴に足を通しました。
健康診断の用紙に冷徹に記載された「脂質異常症」の文字。もう中年に差し掛かっている年齢でもあります。170cm、65kg。見た目は「標準体型」を維持しているサラリーマン。しかし、血液はコレステロールと中性脂肪という名の不純物で濁り始めていたのです。
原因は、はっきりしています。僕はお酒が大好き。そして食べることも好き。ひとたびお酒を飲めば脳は心地よくバグり、理性のリミッターが外れた胃袋は、揚げ物や炭水化物を無限に欲しがります。
変わり者かもしれないが、れだけ飲み食いしても、翌朝に後悔したことが一度もない。
「明日も、10年後も、この美味い酒とメシを楽しみ続けたい」。その一点においてのみ、僕は再び走ることを決めました。37歳、サラリーマン。身体の再起動させるための記録でもあります。
かつての自分を「埋葬」。元陸上部が直視した2kmの絶望



『お前はもう、あの頃のランナーじゃない』。自分にそう言い聞かせ、過去の自分を殺す作業。それが、僕にとっての最初で難所でした。
走り出して100メートル。脳内にある「かつてのフォーム」と、実際の動き。あまりにも違い、脳みそが現実を拒否していました。改め手感じたのは、僕たち人間は、過去の栄光をなかなか捨てきれない生き物だと。
競技者思考からの脱却…という名の葬式


かつての僕は、1秒を削ることに全神経を注いでいました。中学・高校と陸上部に捧げた日々が、今の僕に「遅いことは恥だ」という呪いをかけてきます。
でも、認めなければならない…。今の僕は、100mを全力で駆け抜ける若者ではなく、脂質異常を抱えた37歳の「動けないおじさん」なのだと。
「お前はもうそんな走れる人間じゃないんだ」と自分に言い聞かせる作業は、肺の痛み以上に辛いものでした。けれど、その呪いを捨てた瞬間、タイムを競う競技者ではなく、いつかフルマラソンを完走するという新しい夢を追う「挑戦者」に、ようやく生まれ変われた気がしたのです。
キロ7分という「戦略的スローラン」


再開からしばらく経ち、今はやっと5km、調子が良ければ10kmまで距離を伸ばせるようになりました。ペースはキロ6:30〜7:00。
現役時代から見れば「歩いているも同然」の速度かもしれません。 しかし、この「キロ7分」こそが、脂質異常症を抱えた今の僕には最適な速度なのです。
かつての「一蹴りの出力」は失われましたが、今はその代わりに、長時間動き続けるための「効率」を追求し始めています。10kmを走り切ったとき、目の前に広がる景色は、かつての競技場とは違う「生存への手応え」に満ちていました。
脂質異常症 vs 暴飲暴食の「停戦協定」



「酒を断つくらいなら、少しだけ早死にした方がマシだ!」とは一切思いません…長生きして美味しいものを食べ・飲む。そんな幸せの時間を最大化したいのが本望。
走る目的はダイエットですが、僕は食べることをやめられません。お酒を飲んで「何を食べてもいい」と自分を許す時間は、僕の人生において不可欠な聖域でもあります。
脳がバグる瞬間の幸福感を守る


お酒を飲んで、理性がログアウトする過程の描写。そこには後悔など1ミリも存在しません。深夜の揚げ物、締めのラーメン。それらがもたらす多幸感は、何物にも代えがたいものです。
しかし、その幸福を永続させるためには、肉体というプラットフォームが正常に機能していなければならない。脂質異常症という診断は、そのプラットフォームが崩壊しかけているという警告でした。
大好きなものを、これからも大好きであり続けるために、僕は自分の体と「停戦協定」を結ぶことにしました。
ランニングは最高の「酒の肴」か?


シャワーを浴びて冷蔵庫を開けるとき、あの「絶望」は形を変え始めます。
客観的に見れば、2kmのランニングで消費したカロリーなど、ビール1缶とポテトチップス数枚で容易に上書きされるます。
不思議なことに、2kmの足掻きを通した後の最初の一口には、後ろめたさという不純物が一切混ざらないのです。脂質異常症という診断に怯えながら、ただ座って飲む酒とは、明らかに「成分」が違います。
走った・運動したという、最高の旨味成分が加算されのです。
収支は赤字だが、心は驚くほどに黒字



医学的な数値で見れば、僕はまだ『失敗』の渦中にいるのかもしれません。けれど、今日一日の終わりに、自分を許して乾杯できることが、何よりの勝利なんです。
今の僕に、数万円のGarminはまだ必要ありません。(でも欲しい!いつか買う!)まずは、この「2kmで絶望するアナログな痛み」を、しっかりと自分の細胞に刻み込むことから始めます。
消費カロリーより、摂取カロリーの方が多い。医学的な数値で見れば、失敗の渦中にいるのかもしれません。けれど、今日一日の終わりに、自分の体を許し、笑って乾杯できること。収支は真っ赤字だが、僕の心は、驚くほどに黒字なのです。
高価な時計で数値を追う前に、10kmを走った後の心地よいダルさと、空腹感を噛み締めます。デバイスがないからこそ、自分の呼吸の乱れや、筋肉の張りに敏感になれる。
それは、かつて陸上部だった頃の「研ぎ澄まされた感覚」を、今の肉体に合わせて再構築するプロセスでもあります。一蹴りの出力不足を嘆くのではなく、その不足分をどうやって「仕組み」や「知識」で補っていくか。そこもランニングの魅力でもあります。
まとめ



2kmで止まる自分を、笑って許しましょう。その先にあるビールが、今日も僕たちを待ってる…そう考えてもいいと思う
この記事で伝えたかったのは、ランニングを「立派なスポーツ」として捉えなくて良い問うことです。
「壊れかけた自分を修正するためのメンテナンス」として捉える視点です。 脂質異常症という現実、2kmで限界を迎える肉体、そしてバグり続ける食欲。それらすべてを否定せず、受け入れた上で、少しだけ前に進むこと。
消費カロリーより摂取カロリーの方が多くても、心が「黒字」であれば、それは継続への強力なガソリンになります。
- そんなのやっても意味ないよ!
- 30分以上走らないと効果ないよ!
ネットにはランニングのハードルを上げる文言はごまんとでてきます。けど、僕が言いたいのは1分でも動いた人間が先に進めるってことです。意味がないことはありません。短くても・強度が低くても、動いた人間が勝ちなんです。
僕と同じように「かつての自分」とのギャップに苦しんでいる方、健康診断の結果に震えている方。 まずは2km、いえ、玄関を出るだけでも構いません。
「たったこれだけか」という絶望を、最高の酒の肴にするための「大人の再起動」を、一緒に始めていきましょう!

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