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【コラム】「走れるのすごいね」と言われる違和感。僕らのランニングが義務教育の「我慢大会」で終わった理由

にこぞう

ランニング趣味なんだよね~と言うと、「よく走れるね」「信じられない」という言葉が返ってくる…。キラキラスポーツじゃないし我慢し続けるイメージが付いてるのも事実だよな~

まるで修行でもしているかのような、どこかネガティブなニュアンスを含んだ視線。なぜ、走ることに対してこれほどまでに「辛くて、つまらないもの」というイメージを抱いてしまうのでしょうか。

その原因を深く掘り下げていくと、僕らが学生時代に経験した、「学校のマラソン大会」という強烈な呪縛に行き着くのだと考えています。

今回は、元陸上部でありながら一度は走ることを完全にやめ、36歳から再び泥臭く走り始めた僕の視点から、義務教育が植え付けたランニングの誤解と、大人だからこそできる「我慢しない仕組み化」についてロジカルに検証していきたいと思います!

目次

「ランニングは辛いだけ」と思い込む、義務教育の落とし穴

にこぞう

走りのネガティブ感は、学生時代のマラソン大会で「辛さを我慢するだけの時間」だったから!学校という組織が強制的に走らせるあの空間には、走る楽しさを生み出す工夫は一切ない!

実際に走るのが辛かったから、それは嫌になるも当然。走れる人だけが、表彰され気持ちよくなり、そんな意地悪感満載のスポーツ。それがマラソン大会…だと僕は思ってます。

友達から「一緒に走ろう」なんて言われた事もありましたが、そもそも自分と友達のペースが違うのだから、一緒になんか走れるわけがありません。

しかも、当時のマラソン大会や体育の授業には「途中で歩いてはダメ」という謎の無言の圧力、空気感がありました。 結果として、息が切れて脇腹が痛くなっても、ひたすら立ち止まることすら許されない我慢の連続。

サッカーやバスケの練習は段階を追って丁寧にさせるのに、なぜかランニングに関してはペース配分も教えないまま、いきなり本番で「全力で走れ」と放り出される。

これでは、走ること=ネガティブな記憶として脳にトラウマ級の印象が植え付けられるのも無理はありません。 学校が強制する「ただ耐えるだけの時間」が、多くの人のランニングに対するイメージを最悪なものにした張本人なのだと、僕は勝手に確信しています。

ランニングが楽しいと思えるのは、自分の能力値を把握して、その能力値の範囲内で適切に走ることができて「楽しい」と思えると僕は考えています。これを度外視した学校のマラソン大会は…本当にもったいし、ランニングの魅力を知らず人生を終えてほしくないと心から思います。

大人のランニングは「我慢」じゃない。数字と耳で遊ぶ新しい仕組み

にこぞう

ランニングが我慢の側面を一切持たないスポーツかと言われたら、それは嘘にはなる。しかし、ランニングで「途中で歩くのはダメ」なんてルールも存在しまない。

学校が教えてくれなかった心地よく走れるペース。無理をするのではなく、自分の感覚の体のレベルとランニングレベルをすり合わせていきましょう。そうすると、自分が「心地よく走れるペース」が見えてくる!

アプリが教えてくれる「努力の見える化」の快感

自分がどこの道を、何キロ、何分で走ったのか。今の時代は、スマホのランニングアプリを使うことで、そのすべてを計測し、記録として残すことができます。 学生時代のマラソンは、走り終わったら順位という相対的な評価を突きつけられて終わりでしたが、アプリによる計測は純粋な「自分の努力の積み上げ」を教えてくれます。

この「努力の見える化」が、大人の脳内にある達成感を想像以上に刺激してくれるので、走る行為そのものがゲームのレベル上げのように面白くなってきまう。

高価な計測デバイス(Garmin等)をいきなり買わなくても、手元のスマホアプリ一つで、しかも多くのアプリは無料で使用できますので、ポップ活用する事ができ、モチベーションの維持に直結していきます。

耳を塞がない骨伝導イヤホンという安全な特等席

走っていて「やっぱりつまらないな、退屈だな」と感じる事は…正直あります。走ってる時間何もする事ないので、もっと有効的に時間を使えるのでは?と思ってしまうこともありますが、ランニング時間を有効的に使うことも当然できます。

そのために必要なガジェットが骨伝導イヤホン。 通常のイヤホンは耳を完全に塞いでしまうため、周囲の車の音や自転車の気配が遮断され、外を走る上では危険を伴います。 骨伝導イヤホンであれば耳の穴を開放したまま、骨の振動を通じて脳内に直接音楽や音声を届けてくれる画期的なアイテムです。

周囲のアナログな環境音をしっかりと聞き取りながら、自分の好きな音楽やPodcast、あるいはAudibleの朗読をバックグラウンドミュージックとして安全に楽しむことができます。

「あのラジオの続きを聴きたいから、今日も5分だけ外に出よう」という動機付けもできるので、学校の強制マラソンには絶対になかった、大人だけのズルい特権でもあります。

走るためではなく「靴を履くため」に玄関を出る、大人の贅沢

にこぞう

シューズを履くこと、それ自体を目的にして玄関を出る日があっても、誰にも文句を言われる筋合いはない!

道具の進化をフルに受け入れ、形から入ることを僕は全力で肯定しますする。それもまた、学生時代には許されなかった「大人のランニング」の醍醐味。シューズを履きたいから、このウェアを着たいから外に出る。これも立派なモチベーション維持の賢い工夫です。

ポンポン弾む最新シューズは、もはや大人の遊び道具

最近のランニングシューズの進化は本当に凄まじく、かつて昭和・平成の部活で使っていたシューズとは完全に別次元のレベルです。

圧倒的なクッション性で着地の衝撃から膝を徹底的に守ってくれるだけでなく、ポンポンと勝手に弾み、前に進ませてくれる驚異的な推進力を生み出してくれます。

スポーツショップに行って実際に試し履きをしてみるだけでも、その構造の違い、歩いた瞬間の異次元の感覚に誰もが驚くはずです。

元陸上部としての変なプライドを捨て、最新のテクノロジーという補助を受け入れる。 マシュマロの上を歩いているかのようなワクワク感を味わうために外に出る、こんな動機が、重くなった身体を前へと動かす最大の燃料になります。

おしゃれなウェアとギアでモチベーションを買い叩く

走るのがどうしても億劫になったり、飽きたりしたら、僕は「ギアを新しく1つ買う」という解決策を推奨しています。 現代のランニングウェアはデザイン性が非常に高く、シルエットが美しいスパッツやタイツ、高機能なトップスなど、身に付けるだけで自分のテンションを上げてくれるものが揃っています。

学校のダサい指定ジャージで無理やり走らされていたあの頃とは違い、大人は自分の見た目も、踏み出す一歩の快適さも、すべてコントロールできます。意志の力も大切ですが、それだけに頼るのも継続性という観点では少々頼りないものです。

これこそが、ランニングを習慣化するための賢い戦術でもあります。

まとめ

にこぞう

ランニングは本来、誰かに強制されて痛みを我慢するものではなく、自分自身の心と身体を快適にアップデートするためのなエンタメです。学校のマラソン大会という最悪の出会いのせいで、走ることへの扉を閉ざしてしまうのは、あまりにも勿体ないのです!

「ランニング…自分には無理だ」と心を閉ざしているのなら、その苦手意識はあなたのせいではなく、当時の教育システムの問題の可能性もあります。今の僕らには、スマートフォンのアプリがあり、耳を塞がない骨伝導イヤホンがあり、足を勝手に前に進めてくれる魔法のようなシューズがあります。

ゆっくり走っていいし、途中で息が切れたら堂々と歩けばいい。 あの頃のように順位を競う必要はどこにもないのだから、自分の身体という唯一無二の資産を、お気に入りのギアで補完しながらのんびり進めていきましょう!

まずは玄関を出て、お気に入りの靴の感触を確かめることから一緒に始めていきましょう。

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